演劇の手法・理論を融合新しい英語教育の可能性を求めて
――フィリピン教育演劇協会主催 “Asian People's Theater Workshop and Philippine Exposure 2007”に参加して――

塩沢   泰子

要旨
 英語教育、特に表現力やコミュニケーション能力養成の方法と目的を探る上で英語演劇導入は検討する価値がある。従来から交渉劇やディベート、即興劇をカ リキュラムに取り入れ、実践研究を重ねてきた筆者は2007年8月に開催されたフィリピン教育演劇協会主催の演劇研修に参加し、多岐にわたる知見を得たの で報告する。演劇を作り上げるプロセスにおいて英語が活発に使用されるばかりでなく、実体験を重視する本研修は社会問題を深く探り、意識化し、表現し、演 劇作品として参加者と共有する総合的な活動で、英語教育ひいては教育全般に新しい可能性、示唆を与えるものである。

はじめに
 筆者は英語教育に自己表現力、共感力、批判的思考力を高める方法として交渉劇や即興劇を取り入れてきたが、この度、PPhilippine Educational Theater Association (略称PETA)がアジア太平洋地域の教育者、演劇人、社会開発に携わる人々などを対象に1997年より実施しているワークショップに参加した。これは統 合芸術手法(Integrated Theater Art Approach)による1週間の集中コース”Asian People's Theater Workshop and Philippine Exposure 2007”で、フィールドトリップを含む総合的な研修となっており、英語教育、ひいては教育全般に関する様々な知見、具体的な指導方法についての示唆を得 ることができた。
  本プログラムは演劇を通して仲間との連帯感を強め、創造力、想像力を育み、平和、家族、環境、ジェンダー、地域活動、公共遺産の継承などといった幅広い領 域の課題に取り組むものである。そして実体験や観察を通して問題を意識化し、深く考察し、協働作業によりテーマを設定した上で台本を作り、リハーサルを重 ねて演じる。この一連の過程ならびに演劇作品の発表により、聴衆を含めた参加者と問題を共有し、政策提言することを目的とする。

1.PETA(Philippine Educational Theater Association:フィリピン教育演劇協会)について
 PETAは、フィリピンのマニラに1967年に設立され、設立当初は演劇を通じた社会変革を目的としていた。1971年にはユネスコ国際演劇団体として 認められ、民衆参加型のワークショップを発展させてきた。そして民主化に向けての草の根社会運動としてPETAは大きな役割を果たした。実際、PETAは フィリピンだけでなく、現在はアジアの現代民衆演劇を代表するNGOで、これまで3000以上の舞台を製作し、3000以上の公演をフィリピン国内外の劇 場、学校、地域行事などで行ってきた。
 PETAはプロフェッショナルな劇団としても評価が高く、フィリピンのメディアや映画界の役者育成、演劇作品の制作、演劇ワークショップやトレーニング の実施、国際的ネットワーク活動への参加、ビデオ、TVドラマ制作などでも知られる。現在PETAの専任スタッフは約60名。役者、振付師、音響など各自 専門を持っているが、全員、マネジメントなどの実務を含めてジェネラリストとして活躍できる訓練を受けている。高校生くらいからの研修生も様々な行事や PETAの運営に関わっており、日々PETAでは様々なイベントが繰り広げられている。
   PETAにとって「芸術のための芸術としての演劇」はなく、教育と演劇は車の両輪とされている。このような参加型民主主義を目指したPETAの演劇ワーク ショップの手法は、日本においても市民活動や演劇教育、まちづくりなどの様々な場面で取り入れられ、フィリピン国内外の数々の賞を受賞している。1997 年には日本の劇団「黒テント」と共同で行った公演「喜劇:ロミオとジュリエット」(日本軍の占領と日本の農村の嫁不足によるフィリピンからの花嫁を題材) に国際交流基金から賞が授与され、日本の教育者、演劇関係者、NGOとの交流が続いている。

2.研修プログラムの概要
本ワークショップの内容は概ね次の通りであった。
1日目:歓迎式、オリエンテーション
2日目:PETAの歴史、芸術表現の要素、動きと即興、

            自己紹介(参加目的の紹介を含む)
    緊張をほぐす活動、チームワークを高める活動
    形作りの研究(人体彫刻)
    グループ即興
    PETAで上演中のミュージカル「若きリサール」の鑑賞
    バックステージツアー、役者との交流
3日目:コミュニティー探訪(市場、イスラム地域、サンチアゴ砦とリサール記念館、

            アガペ児童センター、スラムの家庭訪問)、振り返りと経験共有
4日目:ドラマの要素、登場人物分析、モノローグとダイアローグ、身体と声の準備、

            音とリズム、言葉と詩(自分の故郷に関する短い詩を作り、朗読、掲 示)、

            絵画とイメージ、貧困の美学、フィリピンの武術的舞踏と身体バランス
5日目:演劇による提言(啓発)、最終作品の準備(テーマ決定、台本制作、

            リハーサル)
6日目:地域の児童、PETAスタッフを聴衆とした、舞台での最終作品の発表
    教育手段としての演劇、問題分析と意識化
7日目:近隣地域の子ども達との演劇交流(各国文化の劇、交流遊びによる紹介、共有、

            地域問題を啓発する児童の演劇鑑賞、ファシリテーターとしての任務、

            ワークショップの運営方法、進行法
8日目:郊外への文化、地域探訪(都市部の現実に対する、地方の現実)
    閉会式(ワークショップ全体の振り返り、今後の活動にどう生かすか)
9日目:マニラ出発

3.研修の参加者と指導者

 今回の参加者は合計9名。日本人4名(教育関係者、NGO職員など)、フィリピン人4名(教員、公務員、演劇人)、中国人1名(教育演劇を志す若者) で、ほとんどが20代、30代の若者。指導者をfacilitator(ファシリテーター)と呼ぶが、今回ファシリテーターとなったのはPETA40年の キャリアを持つベテランスタッフEarnie氏で、数年前まで舞台に立っていた。Earnie氏の他、舞踊、理論、振り付け等の専門家がその都度、講師陣 に加わった。
 
(図1.PETAの基本理念を説明するファシリテーターのアーニー氏) 

(図2.陽気で芸達者なフィリピン人参加者)

4.PETAのワークショップの基本理念と原則
・Gold Mine Theory
 人は誰でも自分の中にすばらしい宝を持っているという理論で、自分の能力、可能性を信じ、それを発掘し、活性化することが大事であるとする。
・Parent, Adult, Child in every person
 人間には人格の中に子どもに対して責任を持つ「親」、社会と様々に関わる「大人」、そしてあらゆることを無邪気に楽しむ「こども」の側面を合わせ持つ。
・Spheres of Man
 人は様々な側面(活動範囲、分野)を持ち合わせて生活している。社会的側面、政治的側面、経済的側面、文化的側面
・グループダイナミックス
 (ワークショップの)参加者はファシリテーターから学ぶ。ファシリテーターは参加者から学ぶ。参加者は互いに学びあう

5.PETAの演劇基本理論
・Integrated Arts Approach(統合的芸術手法)
 PETAは演劇を協働芸術――様々な芸術分野を専門とする人々が協力して作り上げていくもの――と位置づける。端的に言えば、統合芸術である。聴衆は劇 場の上演を舞台上の俳優の演技だけでなく、プロデュースデザインや照明、効果など全体を含めて「演劇」と認識する。従って、演劇の訓練はすべての芸術的要 素について十分な注意を払いながら、全体を教育するものでなければならない。統合的芸術アプローチにおいては、ドラマ化を念頭に書かれた詩や、絵画、音楽 といった芸術が互いに関連を持つのである。
・Aesthetics of Poverty
 物質的、資金的には限られた、シンプルな舞台装置の中においてこそ高い表現力と象徴性が要求され、高い芸術性が生まれる、とする。実際、PETAの舞台 装置は抽象的で同じ小道具を場面によって様々な異なるものに見立てる。
・Elements of Artistic Expression(芸術的な表現の要素)
 芸術的表現には次の要素が含まれる。
 Line(線), Shape(形), Color(色), Texture(風合い、手触り), Sound(音),  Movement(動き), Rhythm(リズム), Space(空間)。
・Principles of Composition and Organization(作品の原則)
 演劇作品は長短、種類にかかわらず、次の要素が必要である。
 Theme(テーマ)、 Variation and Contrast(多様性と対照)、 Focus(焦点)、

 Balance of Contrast(対照の均衡)、Dynamism(躍動)、 
   Clarity(明確さ)、 Unity(統合)
・Elements of Drama(ドラマの要素)
 ドラマには次の要素がある。
 Conflict(葛藤もしくは問題)、Character(感情を持った登場人物)、

 Plot(物語り)、Premise(メッセージ、教訓)

(図3.Conflictこそドラマの中核。理論のキーワード、研修中の作品などを練習場に掲示)

 

6.Integrated Theater Arts Forms
 Integrated Arts Approachにおいて扱われるのは次の分野である。PETAのワークショップはこれらすべてに言及し、訓練を行う。各分野をかいつまんで説明し、実際 に行った活動を紹介する。
・Creative Drama
 劇作やグループでの即興劇を構成する要素、断片的な動き。演劇の基礎練習や感情の研究を含む。例としては「人体彫刻」などがこの一つである。「人体彫 刻」とは、2人1組になり、一人が彫刻家となり、ある場面を想定して無言で相手を「彫刻」する。彫刻された人はその場面にふさわしいセリフを発する。その 後「彫刻家」が同じ彫刻になり、想定していたセリフを言う。
・Creative Sounds and Music
 声だけでなく、体の一部をたたいたり、擦り合わせたりして出る音、伝統的な楽器、民族楽器、或いは音が出るもの何でも使って即興で音や音楽を作る。ワー クショップでは、最初の人がゆっくりとした基本リズムを作り、次々と体や楽器などで音を出し、重ねていき、劇の雰囲気を作り出す活動などを行った。
・Creative Writing
 思考や感情の変化を自由闊達に表現する非伝統的な手法で詩、物語、シナリオ、寸劇などを作り、文筆力を高める。ワークショップでは、My place my originと題する自分の故郷についての自由詩の制作を行った。この自由詩は自分にとってこだわりのある土地の人々、行事、悲しみ、喜び、動き、願い、 思考などが含まれるもので、例として次のような構成が提示された。
 1行目:名詞(コントラストや疑問文を含む)
 2行目:形容詞(何らかの感情を表現し、繰り返しなどを含む)
 3行目:動詞 (動きを表わす言葉)
 4行目:句、象徴的な言葉・名詞(感情、思考などを具体的な言葉、句で表わす)

 Earnie氏のサンプル詩
   Manila
   Crowded, Historic
   Flooding, Trafficking, Moving
   My Beloved City
   Manila
 
・Creative Body Movements
 体の柔軟性を鍛えながら、精神と肉体をつなぎ、的確に体の動きを抑制できるようにする。また、集中力をつけ、独自の動きができるようにする。本ワーク ショップではその訓練の一つとしてフィリピンの伝統武術を元にした舞踊のてほどきを受けた。この舞踊はアジアの伝統的な舞踊、特に歌舞伎の基本的な動作と 共通点があり、左右、上下、前後、表裏のバランスを取り、空間全体を使い、めりはりをつけてリズムや情緒に合わせて動く訓練をした。

(図4.舞踏の雰囲気を出すために民族衣装を身にまとってみる。)    
(図5.グループ作品のテーマやイメージをまず絵にしてみる)

(図6.グループ作品発表風景。フィリピンの子どもの問題を象徴する一場面)

・Visual Arts
 表現したいことや感情、考えをスケッチや絵画、コラージュ、壁画として表わすもので、これらは演劇のプロダクションデザインに結びつくものである。本研 修では、グループ寸劇のテーマや最終作品のメッセージ、研修成果などを絵画を使って表現した。例えば、グループ作品においては、大きな紙の中心に全体の メッセージシンボルを描き、周辺にグループメンバーが伝えたいより具体的な問題、メッセージをシンボル化して描いた。その過程において演劇のテーマがより 明確になり、グループにおいても共有される。
 また、登場人物分析の一手法としても絵画が使われた。練習として、身の回りのある人物を想定し、その人の絵を描き、その人になって語る、という活動を 行った。
・Group Dynamics
 参加者同士互いの信頼関係を築き、自己開示をし、感覚を磨き、協調性を高める訓練やゲームは研修をより効果的にし、楽しいものにする。本研修ではグルー プダイナミックスを育む様々な活動を行った。
  a. Blind Car
 2人1組となり、一人が運転手、相方は目をつぶって「車」となり、運転手の指示に従って動く。前進:背中を押す。ストップ:両肩に手を置く。右折:右肩 に手。左折:左肩に手。
 b. Mirror Image
 2人1組。相手の動きを鏡のように真似する。応用編として相手の体の一部についていく、という活動もある。また、輪になって前の人に続く、という動きも ある。
 c. Hands
 2人1組。互いに目を閉じて相手の手の感触を確かめる。ファシリテーターは参加者を移動させ、十分離れ離れにしてから目を閉じたまま、言葉を発すること なく、出会った相手の手の感触で相手を探す。自分の相方だと思ったらその場でしゃがむ。
 d. Sound
 2人1組。片方が目を閉じ、相方が出す音(拍手、足の踏み鳴らし音など)を頼りに相手について歩く。
 e. Pendulum
 5名~10名程度。人間起き上がりこぼし。輪になり、1人が輪の中に入り、目を閉じてボーリングのピンのように直立した姿勢でどこかに倒れる。周囲は倒 れてきた人を受け止め、またどこかに向かってその人を押しやる。
 f. Tangled arms
 5名~。輪になって近づき、手を伸ばし、両隣の人以外の手を(片手ずつ)握る。からまった腕をつないだまま、知恵を絞り、協力してくぐったり乗り越えた りして2つの円になるまでほどく。

~その他の基本的な活動・基礎訓練として発声練習、アクセント練習、柔軟体操なども行ったが詳細は割愛する。

7.Showcase(最終上映作品)への過程と最終作品

 ワークショップ後半には、演劇の基本理論、訓練、地域探訪などを経て参加者達が作った、メッセージを持った作品をPETAのステージでPTETAスタッ フならびに地域住民に披露する機会が与えられた。教育に関わる参加者が多く、最終作品のテーマは「こどもの現状」となった。特に参加者の多い日本とフィリ ピンの現実における問題点を提示し、解決法を示すのでなく、問題を演劇を通して共有し、共に考えてもらうことを目的とした。
 フィリピンでは貧困のため麻薬に手を出す子どもを取り上げ、日本では陰湿な「いじめ」問題を取り上げた。それぞれの問題が浮き彫りになるような短い場面 を象徴的に演じ、両国の主役の子ども達が夢の中で入れ替わり、別世界に行き一瞬喜びに浸るが、やはりひどい目に遭って自国に戻り、目が覚めてほっとする、 という設定である。研修中に習った音楽や動きを織り交ぜ、最後は各国の童謡を歌いながら希望に満ちた「人体彫刻」で締めた。PETAスタッフによる音響や 照明も付き、15分程度の最終作品となった。

(図7.最終作品のあらすじ)

8.Urban Exposure(地域へのフィールド・トリップ)
 研修3日目にマニラ中心部への歴史・文化探訪と地域住民との交流のフィールド・トリップが組まれた。町の中心部の市場、イスラム地域、モスクの見学を始 め、フィリピン独立を導いた英雄リサール記念館を訪ね、フェリーで川沿いの人々の生活ぶりを見ながら川くだりをした。
 午後はPETAが支援する、最貧スラム街の児童教育センターでの児童、母親との交流、さらにはその家庭訪問も行った。家庭には日本人とフィリピン人2人 1組となって1つの家族を訪問し、一緒に市場に夕食の買い物に行き、食事を共にした。

(図8.PETAが支援するスラムの児童センター)

(図9.夕食に招いてくれたスラムの家族。屋外に置いた七輪で料理。魚や肉は主にピーナッツ油で揚げる)[略]
(図10.3畳ほどの土間一間で家族6人が寝食。38歳の母親には20歳を頭に4人の子どもが)[略]

(図11.マニラ市内を流れる川沿いの庶民の家。川で泳ぐ子ども、つりをする人々も)

[略]



9.地域児童との交流会でのファシリテーター経験
 研修最終日近くにPETA近隣の児童との交流会があった。7歳~13歳くらいまでの子ども約25人を招き、自国の歌や童話、遊びを紹介するものであっ た。準備においてはまずテーマを設定し、そのテーマに沿って活動やお話を選び、最終的に何らかの教訓を与えるものとして計画した。日本チームは「こぶとり じいさん」を扱い、その過程で日本の歌や踊りを紹介した。子どもを巻き込んでの一連の中国と日本文化の紹介活動のあと、Earlie氏が子ども達を輪に なって座らせ、「振り返り」を行った。紹介されたお話の教訓に留まらず、実生活での自分達の生活を振り返らせ、どんな家事をやっているかを言わせたり、麻 薬に手を出すことの深刻さや若くして子どもを作ってしまうことの悲惨さなどにも言及していた。

(図12.地元の児童との交流。ファシリテーター経験)[略]



10.始まりと終わりの儀式
 研修開始にあたっては、参加者が1対1でレイを掛け合い、歓迎の言葉を述べる儀式を行った。また、研修最終日には研修を振り返り、今後の活動を確認する 活動を行った。これは白地のハンカチの中心に研修を今後生かしていくことを象徴する絵を描き、説明し、その周辺の余白に参加者が一言ずつ書き加え、回して いく、というやり方をとった。フィリピンのある若者は出身地の宗教対立を少しでも抑制し、相互理解を育むような活動をしたいとして二つの協会が共存する絵 を描いた。日本の学校教育を支援するNGOに勤めるある若者は、人は誰でも必ず芽を出して成長する、として種の発芽を促す雨になりたい、として雨で発芽 し、虹がかかる絵を描いた。

まとめ
 40年にわたって民衆演劇のメッカとなってきたPETAが、過去10年にわたって練り上げてきた本ワークショップは、すべての活動が目的を持ち、最終目 的に収斂しており、五感を通して体験して演劇の基礎とその意義を身につけられる、実に有意義なものであった。コミュニケーションにおいて、感覚を研ぎ澄ま し、共感し、互いの信頼感を高めることは極めて重要で、そのための様々な活動は即、大学での教育活動、特にゼミ活動に応用できると思われる。
 今回の参加者は日本人4名、中国人(香港)1名、フィリピン人4名であったが、それぞれの国で抱える社会問題、特に子どもの人権に関わる諸問題を討議、 分析し、演劇作品に仕上げる過程で貧困、麻薬問題、いじめなどについて深く考えることができた。特に日本のいじめの実態は中国人を含めた外国人参加者達に はなかなか理解してもらえず、文化の違い、いじめ問題の根深さを改めて考えさせられた。
また、子ども達との交流を通して、言葉だけでなく、演劇、歌などの身体表現によってより琴線に触れるコミュニケーションが取れ、啓発、教育に効果が高いこ とを実感した。ゼミで実施している学童保育での英語教育ボランティアに応用したい。
 今回の研修で最も衝撃的だったのがマニラ市内のスラム街の家庭訪問であった。児童センターの協力と従来からのPETAの活動によりスラムの人々が無償で 我々を招いて夕食を共にしてくれたものであったが、3畳ほどの地べたにタイルを敷いただけの、ねずみやごきぶりが這い回る不衛生極まりないみすぼらしい家 で家族6人で住みながら、我々訪問者に敬意を表して微笑を絶やさず食事を振舞ってくれる母親、親に言われることなく水汲みや掃除など自主的に仕事をする子 ども達に、物質的には豊かな日本人には欠けている本来的な心の豊かさや家族の絆を感じた。スラムの子ども達の集中力や目の輝きにも感動した。スペイン、米 国、日本により占領されながらもばねのように跳ね返り、粘り強く、しかも明るく生き抜くフィリピン人の国民性がスラムの人々を通して垣間見られた。
 PETAの近隣児童との交流においては、我々参加者がワークショップ開催の準備、ファシリテーターを経験させてもらったが、テーマや教訓を必ず設定し、 それに沿って様々な活動を組み立て、一連の活動の後に「振り返り」の時間を設け、子ども達に何を学んだか、これからどう行動するかを具体的に確認すること が要求され、教育演劇のあり方を認識した。

英語教育との関連と今後の展望
 今回の研修は英語教育の枠を超えた教育全般にわたる多くの示唆を含むものであったが、最後に英語教育への応用、意義について考えたい。コミュニケーショ ン教育の一環として英語教育を捉えると、今回の教育演劇が貢献する部分は大きい。コミュニケーションの中で音声言語が占める割合は場面によるものの、極め て限られている。コミュニケーションの成否は表情、身振り、空間の使い方等々、非言語による部分が大きい。そのような非言語の部分の感覚を繊細にし、共感 力、表現力を高めることは、言語法則をある程度身につけてきた大学生が英語によるコミュニケーション能力を高める上で非常に有効である。しかも日本の教育 では教室での座学が「学習」の中心であり、視覚・聴覚以外の感覚は十分に涵養されているとはいえないので、なおさらである。また、言語としての英語におい ても日本では強勢やリズム、ピッチなどによる意味の違いなどを習うことはあまりないので、演劇はこれらを体得するいい機会となる。
 フィリピンのようなアジアでの演劇研修は英語学習の実践と目的を与えてくれるものである。アジア諸国の参加者とともに英語を共通語として使って討議し、 説得・妥協を繰り返して演劇作品を作り上げる過程そのものが英語運用能力を高めてくれるし、より分かり合おうとすることが英語習得の目的となる。1週間程 度でも朝から晩まで生活を共にするので、かなり英語漬け状態になり得る。
さらに、英語教育の目的の大きな柱が異文化理解であるが、多文化チームでの演劇練習により、それぞれの文化、習慣について深い洞察を得ることが出来る。今 回特に感じたのは最終作品の制作過程においてである。言葉と動きを使って問題を意識化し、共通理解するのだが、それぞれの文化、歴史、習慣に深く根ざした 行動パターンや考え方にはどうしても理解しがたいものがあり、異文化理解の難しさを再認識させられるとともに、自国の文化や自分自身を振り返るきっかけと なった。
 さらに演劇制作の過程では扱うテーマによっては身の回りや世界規模で起こっている様々な社会問題に言及し、演じながら追体験や疑似体験をすることにな る。これは英語を使って「何を」するのか、何のために英語を学習するのかという根源的な問いへの答えを与えてくれるものである。
 最後に母国語の意義、重みについて触れたい。PETAは演劇において母国語やお国訛りを重視する。本当の気持ちは慣れ親しんだ方言を使ってこそ伝わる、 という基本姿勢をとる。今回の研修でも母国語を大事にし、感情を込めた演技をするときは母国語使用を奨励した。確かに、PETAの上演中の作品もタガログ 語と英語が入り混じっている。フィリピン人は教育を受けた人々はみな英語が流暢だが、劇ではあえて自国のアイデンティティーを示し、真の感情表現をするた めにタガログ語を用いるのである。我々研修生の最終作品の場合、タガログ語、英語、中国語、日本語が入り乱れる多言語劇となった。多少わかりにくさは残っ たが、力強い感情表現は母国語で表現した方が的確に伝わるように思われた。
 最後の母国語の重要性という点は英語教育と相矛盾するともいえるが、これは奇しくも現在小学校高学年から導入が決定された英語教育に関してその目的と限 界を示唆するものでもあろう。十分に母国語による自己表現ができない児童に英語をむやみに教えることにどれほどの意味があろうか。またその目標はどこに設 定すべきか。大いに議論すべきであろう。